インタビュー&ニュース

ドイツに本社をおく製薬会社ベーリンガーインゲルハイム社は130年の歴史を持ち、世界145カ国で、医療用、一般用、動物用の医薬品を販売している。日本でのビジネスを統括するのがベーリンガーインゲルハイム ジャパンで、日本ベーリンガーインゲルハイム、エスエス製薬など、日本の5つのグループ企業には合計約3,000名の社員が働いている。
 同社にとって社員は“財産”である。新薬の開発というイノベーションを進めるために、失敗を恐れずに起業家精神をもって挑戦を続けてほしい、と10年、20年先を見据えて、人材の育成に取り組んでいる。
 同社の目指す人材像は、BI Valuesと呼ばれる4つの価値すなわち「配慮」「信頼」「共感」「情熱」と、Value through Innovation(革新による価値のクリエーション)に象徴される企業文化を体現できること。こうした価値観や企業文化と、人々の健康に奉仕するというミッションから、ビジネスを越えて社会や人々の健康と積極的にかかわりたいという自発的な“想い”が育まれる。2011年に発生した東日本大震災では、多くの社員から「何か自分にできることをして被災地の方々を助けたい」という声が挙がった。他者への共感・配慮とチャレンジ精神という人材育成の方針は、企業の利益を生むだけでなく、社会への貢献と両立することを教えてくれる事例といえるだろう。
 KAIKAプロジェクトでは、「個の成長、組織の活性化、組織の社会性」を同時に実現するプロセスを追究している。人材育成によって組織を活性化し、その結果、個の成長と組織の社会性を同時に実現した同社の鳥居正男社長に、企業に社会貢献が求められる時代の人材育成についてうかがう。
Q:2003年に四半期決算の公開が義務付けられてから、上場企業は短期間で利益を上げる事業に力を注ぐようになりました。こうした環境では、将来を見据えた投資が難しくなります。

鳥居 一般的に新薬の開発は10-15年かかるといわれ、しかも3万を超える物質から新薬を生み出すのはたったの1件程度です。3カ月ごとに利益や将来の見通しについて株主に開示し理解を得るのは容易ではないでしょう。しかし、今まで治療法が見つかっていなかった病気に効果のある薬ができれば、人々の健康に貢献することができ、そこから生まれる利益を新薬の研究開発の投資にまわすことが出来るのです。
 このような、10年、20年後を見据えた経営を続けるために、ベーリンガーインゲルハイムは、株式を非公開にしています。
 私たちは経営のビジョンとして、「Value through Innovation(革新による価値のクリエーション)」を掲げています。イノベーションといっても、それは何か1つの分野に限ったことではありません。もちろん新薬を生み出すことは重要です。しかし、当たり前のように毎日繰り返している業務を見直して、ムダをなくすということもイノベーションです。このように考えれば、全社的な新しいプロジェクトから日常業務に至るまで、どのような場面でも革新の機会があります。そして、すべての社員が「失敗から学び、恐れることなく挑戦し続ける」という理念のもとに仕事に取り組めば、会社は成長します。

Q:人材の育成については、あらゆる組織で課題となっています。とくに、自ら考えて動く社員を育てるために、多くの経営者が頭を悩ませています。

鳥居 会社が成長を続けるためには、社員一人ひとりの成長と貢献が欠かせません。そのためには、企業理念と経営方針を全社に浸透させることが重要ですが、例えば年度の初めに訓示を述べるだけでは、聞くほうの社員はすぐに忘れてしまいますよね。
 理想を言えば、すべての社員が言われなくても進んで変革に取り組んでくれればいいのです。が、もともと人間とは、変わることを好まない生き物です。そのため、経営者にとっては、いまよりも上手に仕事ができるようになりたい、いままでできなかった仕事に挑戦したいと思わせるきっかけを与え続けることが、重要な仕事になります。
 人材育成の基本は、上司自身が「Value through Innovation」というビジョンを理解して、どのように育ってほしいかを明確にして部下と話し合うことです。
 私たちは個人面談をもとにして、社員一人ひとりの育成プログラムをつくり、定期的に見直しています。このとき上司と部下は、企業文化に基づいて「率先して行動していますか?」「お互いのネットワークをつくりあげていますか?」「ともに成長していますか?」「結果が得られていますか?」という4つの問い、もしくはリーダーシップ・コンピテンシーに照らし合わせて部下の日ごろの行動を振り返り、課題が見つかれば社内研修に参加するなど改善に向けたアクションや職場でのOJTについて話し合います。
 そして、これも多くの経営者の方が悩んでいると思いますが、将来の経営層を育てることに力を注いでいます。いま、社内では、上級の管理職ポジションには必ず後継者のリストをつくり、さらなる育成に取り組むようにしています。
 その一方で、上司からの指摘に本人が納得していなければ、あるいは上司の評価が公平性を欠いていれば、どんなにプログラムが良くても効果は表れません。そこでベーリンガーインゲルハイムでは、直属のマネジャーが評価を終えた段階で、関連する部署のマネジャーが集まって、お互いが出した評価について忌憚のない意見交換をします。こうしてより多くの意見を取り入れることにより、評価の妥当性が高まり、本人も納得してプログラムに取り組むことができます。
 人を育てるには、手間も時間もかかります。しかし、薬の開発と同じように、人の成長に成功の方程式はありません。ですからじっくりと、腰を据えて取り組まなければなりません。

Q:近年は新薬の製品化も増えて、医療用医薬品ビジネスでは2005年に初めて売上1,000億円を達成され、7年後の2012年には倍増の2,000億円となりました。以降も2,000億円を超え前年を上回り続けるなど、ビジネスの成果が表われています。

鳥居 おかげさまで素晴らしい新製品が順調に続き好調に伸長していますが、研究開発から新製品上市、そして患者さんに適切にお届けするまでの活動を成功させ続けることができた結果です。それはまさに人財の成長に支えられていると考えています。本社と各国の法人を合わせたグローバルの売上も、2003年からの10年間で2倍になりました。また、国内に目を向けると、一般用医薬品ビジネスでも、エスエス製薬の売上がグローバルのなかで約2割を占めるまでに成長して貢献しています。これからも、日本でもグローバル環境でもあらゆる領域で、長期的な視点に立って人財育成に取り組み続けていくことが重要だと考えています。
 日本法人で育って、ドイツの本社やその他の現地法人で活躍している社員が現在は10人近くいます。将来的にはドイツの本社の経営を担えるような人材を日本から輩出したいと思います。 
 人材育成については、社外の調査でも高い評価をいただいています。あるビジネス誌では、2014年に発表された「よい会社ランキング」で17位に選ばれました。「評価の適正さ」「人材の長期育成」などの項目への評価をもとにランクが決められるものですが、当社の特徴が表われています。

Q:2011年に発生した東日本大震災では、全国の企業から多くの方が企業から派遣され、復興を支援しました。その多くは企業の主導によるものでしたが、御社では社員から声が挙がり、その思いを汲んだ会社が制度をつくって支えるという形で活動が広がりました。社会貢献という面でも、高い意識を持った人材が育っています。

鳥居 私たちにとっては、新薬の開発という事業そのものが社会への貢献という側面をもっています。社員はみな、普段から人々の健康に貢献しようという高い志をもって働いているため、自然に被災者の気持ちに寄り添うことができたのですね。
地震、津波、原発の被害は、私たちにとっても他人事ではなかったのです。エスエス製薬の「エスカップ」というドリンク剤の工場が福島第一原発から9.5キロという場所にあり、災害による避難を経験した社員が多くいました。
加えて、被災された人びとや被災地で奮闘する医師の姿を直接もしくはニュースなどで見て、医薬品メーカーの社員として何かをせずにはいられないという強い“想い”が沸き起こって、現地のボランティア活動に参加したり遠隔でも協力できる活動に自発的に加わる動きがうまれてきました。そして、そうした活動を会社が支援し、震災直後の状況がだんだんに落ち着きを見せるなかで、様々な課題に目を向けてさらに何かをしていきたいという声が挙がりました。それを受けて、社員の社会貢献アイデアに対して、会社が実現のための資金を含めた後方支援をして多くの社員を巻きこみながら、社員の取り組みを支えるしくみ「思いをカタチに」をつくったのです。
「思いをカタチに」では現在14プロジェクトが活動しており、社会貢献に参加した社員は、2011年からの累計で約2,000人に上ります。世の中にはたくさんの矛盾があって、それがさまざまな問題の種になっているのですが、私も含めて多くの人は、気づいても素通りしてしまうのですね。そこで立ち止まって、現状を少しでも変えていきたい、何か貢献したいという社員の“想い”は、革新という経営ビジョンにも通じています。

Q:「思いをカタチに」のプロジェクトのひとつに、被災地の子どもたちを東京の本社に招くインターンシップがあるそうですが、この取り組みも社員のアイデアから始まったそうですね。

鳥居 きっかけは震災という不幸な出来事でした。しかし、参加した子どもたちが、少しでも働くことに興味をもってもらえれば、それは1人ひとりの将来を変えるイノベーションになるでしょう。企業の社会貢献として、大きな価値があります。
津波に襲われた宮城県の山元町では、いまも町民の方がたが仮設住宅で暮らしていらっしゃいます。震災後、ある社員が個人のボランティアで町を訪れたことがきっかけで山元町とのご縁ができました。震災から1年が過ぎた2012年に、ここの仮設住宅のコミュニティスペースで絵を描くワークショップを開き、以降現在まで訪問を続けて絆を深めています。私も参加しましたが、最初の数回は絵を描きながら震災当時の大変なお話をお聞きすることが多かったのですが、だんだんに日常生活のなかに笑顔が増えて新しい生活のご様子をお聞きする時間が増えてきたことを感じました。このワークショップで皆さんが描かれた絵は我われが持ち帰って大量の絵葉書にし、そこに社員が応援メッセージを書いて被災地の方々にお届けしました。
そして2013年からは、地元のNPO法人の協力を得て山元町の中学生を対象にしたインターンシッププログラムを始めました。絵を描くワークショップで、お子さんたちが未来の山元町と題して生き生きとした将来の町の姿を描いていたのがアイデアのきっかけです。夏休みに山元町の中学生を東京に招待して、社内の見学や、イチゴやりんごといった町の特産品を社員に宣伝して販売する“マルシェ”も開いています。今では毎年多くの社員が楽しみにしているほど人気になっています。また、社員が働きがいについて話すセッションや、ポストイットを使ってミーティングの方法を学ぶ「ビジネススキル体験プログラム」も行っています。
今後もこうした活動を支えるとともに、自ら手を上げて、挑戦してくれる社員を育てていきたいです。

Q:今後、高齢化がさらに進むことから健康寿命の延伸のために生活習慣病をはじめとする疾患への対応や、いまだ有効な治療方が確立されていない疾病への関心が集まっており、治療薬の開発にかかる期待は大きくなっています。

鳥居 新薬の開発には長いスパンで取り組まなければなりません。その点で、非上場の私たちには強みがあります。また、当社は神戸に研究所を有していますが、外資系の大手製薬会社で日本に研究所を持っているのは私たちだけです。高齢化社会を迎える日本では、生活習慣病のほかいまだ有効な治療法が確立されていない疾病に苦しむ患者さんが増えることや、自分の健康を自分で管理していくセルフメディケーションの重要性が一層高まることが予想されますので、「Value through Innovation」という経営ビジョンのもとで、新薬の開発を進め一人でも多くの患者さんを救い、多くの人々の健康に寄与したいと考えています。
 そのためには、必要なのは、やはり人づくりです。新しい発想で仕事に革新をもたらす人材は、多様性を認める組織から生まれます。さまざまな意見やアイデアを持つ人が集まり、違った意見に揉まれて、新しい発想に結びつける。そのための組織づくりを目指します。
 グローバルな組織のなかで人を見ていると、日本人はお客様への配慮やチームワークに長けていると強く感じます。また、勤勉で品質に対しても妥協がありません。たとえば、製品のスペックをクリアするのに9割で合格という場合、海外であれば合格基準の9割ぎりぎりで満足しますが、日本人は9割を最低のラインと考えて常に100%の完璧を目指す真面目さがあります。日本人の強みをもっと前面に出して、ドイツの本社から「人材を求めるときには、まずは日本から」といわれるようになりたいですね。